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11/15//2005  新着情報
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枝宮八幡神社700年祭神楽奉納レポート

■ 11月13日、昨日の広島城神楽に続き北広島町(旧大朝町)は枝ノ宮地区にやってまいりました。
10月19日の中国新聞「神楽ルネサンス」にこの祭の記事が掲載されてから、50年に1度の大祭が見られるのを楽しみにしておりました。
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大朝ICを降りて西にまっすぐ。
ありました、ありましたよ700年際の紅白ゲートが!
で、くぐってみました。普通ゲートがあったらくぐりますよね。
ちょっと走るともう一つ紅白ゲートがありました。
「おー、いよいよだな!」と思っていたのですが、一向に神社らしきものが見当たりません。
不思議に思って聞いてみました。
「あー、二つ目のゲートをくぐって、右に行ってください。カーブを曲がってすぐですから」。
ゲートをくぐっちゃいけなかったんですね・・・

言われたとおり行ってみると今度はちゃんとありましたよ、八幡神社が。
聞いてみると神楽は16時からの様子。現在13時30分。ちょっと早かったみたいです。
まだ時間があるので、ドライブをして時間をつぶすことにしました。
田原温泉に行くとここでも神楽をやってました。
この時期はどこもかしこも神楽三昧!
思いがけず神楽に出会えるとなんか得した気分になりますね。

さて、16時いよいよ枝ノ宮八幡神社700年祭奉納神楽が始まりました。
はじめは、「潮祓い」から。すみません、どこの神楽団さんか忘れました。。

2演目目は「岩戸」。旧舞で、じっくり見せます。
岩戸の途中で日隈理事長からお呼びがかかり、筏津神楽団の今田団長さんと団員で町会議員の杉本さんと700年祭と神楽談義で盛り上
がりました。
とくに杉本さんは旧舞に誇りと、熱い思いをもってらっしゃる方でした。新舞は2年もすれば舞えるようになるが、旧舞は舞えるよう
になるまで5〜6年はかかるとのこと。
なんでも、“間”をとるのが難しいんだそうです。

そうこうしているうちに岩戸が終わり、「八幡」へ。
この「八幡」という演目は宇佐八幡宮に祀られている誉田別命が異国から来た悪魔王をお供の門丸と退治する、というのが一般的なの
ですが、
このときのお供は、いわゆる道化の家来で、農家のおっさんがボロい鎧をきただけ、という感じでみんなを笑わせていました。

八幡も終わり、次はなにかなぁと思っていたら、日隈理事長が「おい、もう帰るぞ」。
気持ちはわかりました。ものすごく寒いんです。神社の境内で行われているため、外も室内もないんです。
体育館やホール神楽に慣れてしまったひ弱なぼくらにこの日の寒さは耐えられませんでした。

また風邪がぶり返してもいけないし。。

大朝ICの近くのラーメン屋でチャーシュー麺を食べて帰りました。
なかなか美味しかったですよ、「悟空」さん。

以上、視察特派員高崎でした。

 
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