2012中四国神楽フェスティバル in ひろしま


 2012年9月9日(日)広島県立文化芸術ホール 上野学園ホールで開催

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平成24年9月9日(日)に収録した映像を配信しています。神楽の盛んな広島で、中四国各県を代表する団体が一同に会し、伝統と個性に満ちあふれた素晴らしい大会となりました。
当日の感動が共有できたら幸いです。>>>動画配信サイト

中四国神楽フェスティバル inひろしま香川県-佐料編笠神楽保存会「カラスの舞」・広島県-宮乃木神楽団「大江山」高知県-梼原町津野山神楽保存会「山探し」・岡山県-備中神楽伝承研究会「吉備津舞」徳島県-のんき連「阿波おどり」・山口県-山代白羽神楽保存会「鵺退治」愛媛県-藤縄神楽保存会「月日の舞」「悪魔払・鬼四天」「薙刀の舞」・広島県-横田神楽団「葛城山」鳥取県- 日南神楽 神光社「神能杵築(国譲り)」・島根県-大都神楽団「八岐大蛇」広島県-琴庄神楽団「厳島」・広島県-中川戸神楽団「板蓋宮」

出演団体

1.香川県高松市 佐料編笠神楽保存会「カラスの舞」

001-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 佐料編笠神楽は高松市鬼無町佐料地区に伝わる郷土芸能です。
地区の平安と秋の豊作を祈る里神楽は地区の澳津神社(荒神さん)に奉納され、地区内の若者たちが農耕用の編笠を烏帽子に仕立て、野外の特設舞台で舞います。上演の15演目は神職系の神楽に似たところもありますが、ユニークにアレンジされ、長年の伝統が地域に馴染んでいます。
 神楽の起源は定かではありませんが、佐料地区には中世の豪族、香西氏の居館跡・佐料城跡があり、裏山の詰め城、勝賀城跡は高松市史跡に指定されています。神楽の奉納については香西氏のお家騒動を巡る母子の鎮魂行事で始まったと伝えられています。
プロフィール
 戦前から地区青年会(若衆組)の伝統行事として受け継がれていましたが、昭和30年代に中断しました。伝統を惜しむ年配者の声に応え、有志が集まり、昭和51年に「佐料編笠神楽保存会」を結成し、芸能の復活を図りました。以降、佐料地区連合自治会の補助を受けながら、地域ぐるみで奉納活動を続けています。復活36年を過ぎるとすでに世代は変わり若い後継者たちが担い、地域の伝統として受け継ぐために多くの人が集い、地域の誇りとして盛り上げてくれています。毎年、荒神祭前夜の9月22日に佐料澳津神社境内で奉納しております。


2.広島県広島市 宮乃木神楽団「大江山」

002-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 明治時代の初め頃を中心として、島根県石見地方を源流とする石見(いわみ)神楽が、広島県の北西部に伝わりました。もともと、農耕儀礼として生まれた儀礼的な神楽へ神話が演目として加わり、物語のある娯楽的な神楽として進展しました。そして戦後になると能や歌舞伎などの演目が神楽化され、一層感動的な芸術性の高い農村文化として発展しました。
 現在、宮乃木神楽団の中には、神楽面師、衣装・かつら制作者が在籍しており、現在の広島神楽を下支えしながら最先端の広島神楽を求めています。
プロフィール
 宮乃木神楽団は平成10年1月に広島市安佐北区飯室の野原八幡神社を御祭神として結成されました。現在は団員も増え、 保持演目も20演目を超えています。 阿須那系神楽を中心に若い人たちの育成と郷土芸能の神楽を伝承し続け、これからも『神楽とは何か』儀式舞、旧舞、新舞の流れを踏まえ、先人たちの育んだ神楽の心意気を学びながら、がんばっていきます。


3.高知県高岡郡梼原町 梼原町津野山神楽保存会「山探し」

003-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 津野山神楽は、延喜13年(913)藤原経高が津野山郷に入国した際、伊豆の国より三島神社を勧請して守護神として祀られたときから、代々の神職によって歌い継ぎ、舞い継がれたものと伝えられています。
 代々特定の神職により世襲的に舞い継がれていたものでしたが、当時、この技を習得している唯一の神職、掛橋富松翁を師として旧習を破り村内各地区から推された青年十数名に口伝えにより伝承講習されました。その後は、歴代の首長が保存会長となって、後継者が養成されています。
 神楽は18節からなり、 正式に舞い納めるには約8時間を要します。急テンポの楽に合わせた舞いでありながら、優美荘重で雅の言葉そのままです。
プロフィール
 昭和23年9月、 代々神職によって継承されていた神楽が、各地より推された青年十数名に伝承講習されることとなり、 津野山神楽保存会が設立されました。
 昭和55年1月、土佐の神楽の一つとして、国の重要無形民俗文化財に指定され、現在では、年に20回程度、各集落の神社や、6月の四国神楽大会、各地のお祭りなどへ出演させていただいております。


4.岡山県井原市 備中神楽伝承研究会「吉備津舞」

004-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 備中神楽は、中世のころから始まった神事色の強い神楽と200年くらい前の文化文政期に国学者の西林国橋氏が芸能要素の上に「古今和歌集」を中心としたいくつかの和歌を引用して、今日にみる神代神楽の基礎が作られました。
 「神事」「神能」「岩戸開き」「国譲り」「大蛇退治」の形で伝わっています。
 全ての演目をすると14-15時間かかります。
プロフィール
 伝承研究会は現在、16名の会員です。
 月に一度の定例会を開き、古来より伝わる神楽を正しく継承するため、地域、各社中の枠を超えて歴史的、学術的、基本的舞いの調査研究を目的とし、国より指定を受けている、重要無形民俗文化財の意義を認識して、保存、伝承、活用を図り、地域文化の発展に貢献しています。


5.徳島県徳島市 のんき連「阿波おどり」

005-800.jpg阿波おどりの起源や特徴
 阿波おどりの起源については、 徳島藩主・蜂須賀公が徳島城の築城を祝って踊りを許したという「築城起源説」や、「盆踊り起源説」、「風流踊り起源説」など諸説ありますが、現在に至るまで400有余年の間、まるで大河・吉野川の流れの如く、脈々と踊り継がれ、時代の要請を採り入れながら発展を続け、徳島が世界に誇る伝統芸能となっています。
 徳島県で最大規模の「徳島市 阿波おどり」では、8月12日-15日の4日間に、約130万人の人出と、踊り連も約1000を数え、まち中がおどり一色の熱気の渦に包まれます。
 心浮き立つお囃子に乗って、2拍子の基本のリズムさえ覚えれば、誰でも踊りの輪に入って参加できるのが阿波おどりの特徴で、本場徳島の他にも、東京の高円寺、埼玉の南越谷をはじめ、全国各地の祭りで踊られています。
プロフィール
 のんき連は、大正14年結成で、数ある連の中で最も古く、阿波おどり三大主流の一つ「のんき調」の発祥連です。
 男踊りは、背筋を伸ばして大地を刻むような足運びとキレのある手さばきで、個性を活かして力強く。
 女踊りは、品よく優しく、衣装に描かれた柳の枝が風に揺らぐが如く優雅に舞う上半身としなやかな指先で、男踊りとは全く趣を別にしています。
 連の結成時から、「踊る者も見る者も一つになって共に楽しむ」を信条とし、正調阿波おどりの伝統をしっかりと守りつつ、新時代への挑戦を続けています。


6.山口県岩国市 山代白羽神楽保存会「鵺退治」

006-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 山口県と広島県の県境に位置する、岩国市美和町の白羽神社を中心とした二つの集落には古くから伝承されてきた神楽があります。出雲神楽の流れをくむと言われていますが、その創始について正確なことは分かりません。
 古文書などによると、江戸時代に相次ぐ飢饉や疫病に悩まされ、五穀豊穣と悪疫退散の祈願を込めた神事として舞われていたことが記されています。
 当初は12座で校正された神事舞でしたが、1839年(天保10年)の白羽神社社殿改築落成興行に招いた芸州佐伯郡明石村(現在の廿日市市)の神楽から鑑賞的な神楽を取り入れることとなり、24座に改めたという言い伝えがあります。
プロフィール
 昭和初期まで「二ツ野舞子中」と称してきましたが、 1962年(昭和37年)に「山代白羽神楽保存会」と改称しました。
 昭和43年、山口県無形民俗文化財の指定を受け、各地の奉納神楽はもちろん、東京オリンピックや韓国公演など数多くのイベントに出演してきました。
 昭和12年白羽神社の火災により、 神楽に関する衣装・道具類の一切が焼失、また地域の人口の減少や高齢化に伴い後継者不足に悩みながらも、現在まで一度も途絶えることなく伝承を続けており、今後も地域に愛され、 地域で守り、 ありのままの山代白羽神楽を後世に伝えてまいります。


7.愛媛県大洲市 藤縄神楽保存会「月日の舞」「悪魔払・鬼四天」「薙刀の舞」

007-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 神楽の始まりは定かではありませんが、現存する古文書「御神楽式」によると、矢落川上流に位置する神社の神職によって奉納していた神楽が民間人による伝承へと移行したもので、弘化2(1845)年以前より行われています。元の大洲藩領のうち旧喜多郡地域を中心に広く分布する鎮縄神楽の一形態とみられています。
 神楽の構成は全18葉からなり、「前の口」から始まり「薙刀の舞」までを4時間以上かけて舞いますが、全て歩数、歩幅が定まっていて、素朴なうちに、厳粛なものや、勇壮そして激しい舞等があります。
プロフィール
 藤縄神楽は、現存する古文書によると弘化2(1845)年以前より行われており、神職によって演じられていた神楽が地域住民の神楽師による伝承に移行したものです。素面または鬼の面などを付け、太鼓や笛などが鳴る中で18演目を演じます。
 現在では地域内をはじめ、大洲市内外40余りの神社に奉納しているほか、イベントにも多数出演しており、その活動が認められ、昭和56年に大洲市無形民俗文化財に指定され、さらに平成22年には愛媛県無形民俗文化財に指定されました。


8.広島県安芸高田市美土里町 横田神楽団「葛城山」

008-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 横田神楽団のある美土里町の故・佐々木順三先生は、敗戦と同時に古来舞い継がれて来た神楽を占領軍が禁止したため、日本の古典芸能の能や歌舞伎などの物語を取り入れた新作神楽を創作されました。
 この神楽は後に、高田郡(現・安芸高田市)で生まれたことにより「高田舞い」と呼ばれるようになります。また、進駐軍の禁止が解けて以降、既存の神楽を旧舞、高田舞いを新舞と呼ぶようになりました。
 旧舞は優雅な重厚な舞いとして伝承され、新舞は、スピード感溢れる魅力的な神楽に仕上がっています。
プロフィール
 神楽団の奉納活動は、 明治以前にさかのぼると伝え聞いています。
 昭和20年代初めの新舞が創作されるまでは阿須那系旧舞を奉納し、新舞が創作されるといち早く取り組み、昨今は新舞中心の奉納を行っています。
 我々の先輩は第1回西中国・芸石の両競演大会で優勝、各地の競演大会でも優勝の栄誉に輝いておられ、私共が引き継いだ後は10数年前より若手の成長と共に各地にお招きいただく機会も多くなり、競演大会での優勝の栄誉にも感度かひたさせて頂いています。
 今後も若手育成と共に伝承に精一杯努力したいと考えています。


9.鳥取県日野郡日南町 日南神楽 神光社「神能杵築(国譲り)」

009-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 西暦1727年出雲地方からの移住者によってもたらされた七座の神事がもとで、 その後、 備後の王子神楽、出雲の神能八重垣(大蛇退治)、神能杵築(国譲り)を加えたものが神戸上(日南町)地区で長く舞い継がれて来ました。
 日南町は東に岡山、西に島根、南に広島の3県に隣接しており、各県で舞われている神楽の特徴を取り入れて神光社独特の舞いになっています。

プロフィール
 3度の火災にあい、衣装の焼失等によりその都度上演の危機にさらされながら、なんとか乗り越えてきました。
 現在舞われている神楽は昭和30年頃から上演が途切れ、存続の危機を感じた地元の若者8名が昭和56年頃声を上げ、残っておられた神楽太夫さんに教えを願い、復興を目指しました。
 全ての演目を習うことが出来ず、備中神楽のOBの方にも教えを願った関係で備中色が若干強くなっています。
 現在では、国民文化祭、ホノルルフェスティバル、名古屋での東海地区鳥取県人会イベントなど様々なイベントに参加しています。


10.島根県江津市 大都神楽団「八岐大蛇」

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 石見神楽の起源は定かではありませんが、平安末期から室町時代に形作られた、大元神楽が原型と言われています。
 江戸時代の中期頃、謡曲を神能化した出雲の佐蛇神能が石見地方に伝わり、演劇化していきました。江戸時代までは神職による神事であったものが、明治維新の神職演舞禁止令により、土地の人々に受け継がれ、明治10年代半ば頃から濱田の国学者らによって石見神楽の改定が行われました。それによりテンポのゆるい六調子から、速いテンポの八調子に変わり、その調子やリズムは他に類を見ない勇壮活発で、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛の囃子で演じられ、見る人を魅了し、神話の世界へ誘います。
プロフィール
 平成11年、神楽を愛する同好者が集い発足いたしました。
 団名の大都は「公演先が都のように大きく栄えるように」との思いを込め名付けました。
 万物を寿ぐ神楽の精神に基づき「森羅万象の表現」をモットーに土臭き古典技法を愛すると共に、現代に馴染む神楽を思いながら、懸命に精進しております。
 発足13年目の未熟な団体ですが、 皆様の御支援、御指導と御縁に感謝し、研鑚を重ねてまいりますので、よろしくお願い申し上げます。


11.広島県山県郡北広島町 琴庄神楽団「厳島」

011-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 明治時代の初め頃を中心として、島根県石見地方を源流とする石見(いわみ)神楽が、広島県の北西部に伝わりました。
 その後、戦後になると能や歌舞伎を神楽化した演目が加わり、県北一帯の神楽の演目は約60と言われるようになりました。
 結成して歴史の浅い琴庄神楽団は、それでも、独特の神楽を舞いたいと他の神楽団の演じていない演目にも挑戦してきました。
 『厳島』は、2010年『ひろしま夏の芸術祭』に広島県の歴史・風土を象徴する演目として新しく創作されたものですが、広島県の石見系と言われる神楽団約130団体の中から抜擢され、挑戦したものです。
プロフィール
 琴庄神楽団は、北広島町(旧豊平町)の中心に位置する庄原八幡神社と琴谷天日神社を守護神とし崇拝してきておりますが、昭和48年に琴庄神楽同行会として発足以後、町内の神楽団より、八調子、六調子の神楽を習い奉納してきました。
 その後高宮の神楽団から神楽を習い昭和60年に神楽団として新たなスタートを切りました。歴史の浅い神楽団ではありますが、おかげ様で、現在では各地からお声をかけていただき奉納をさせて頂いております。いつまでも初心を忘れる事なく、皆様の声援を何よりの励みとして、精進をしてまいりたいと思います。今後共暖かいご声援のほどよろしくお願い申し上げます。


12.広島県山県郡北広島町 中川戸神楽団「板蓋宮」

012-800.jpg伝承されている神楽の起源や特徴など
 明治時代の初め頃を中心として、島根県石見地方を源流とする石見(いわみ)神楽が、広島県の北西部に伝わりました。
 その後、戦後になると能や歌舞伎を神楽化した演目が加わり、県北一帯の神楽の演目は約60と言われるようになりました。
 明治以降、農村文化として発展してきた神楽を舞台芸術に仕上げようと、中川戸神楽団独自の演目・板蓋宮を創作し、今から20年前、広島市アステールプラザ大ホールで自主公演しました。これが現在の『広島神楽の原点』と言われています。
 伝統芸能・郷土芸能の総合芸術化には、賛否両論ありますが、中川戸神楽団は保存的伝承するのではなく、創造的伝承に神楽の未来を求め続けています。
プロフィール
 中川戸神楽団は、明治8年頃に吉藤八幡神社の氏子たちにより結成され、当時は六調子による神楽を舞っていました。戦後は高田舞いと称し、八調子による神楽を導入して神楽の伝承保存に努めてまいりました。
 最近ではオリジナル神楽も発表し、一生懸命がんばっています。
 これからも「感動ある神楽」を目指し、団員一同がんばる所存ですので、何卒温かいご支援とご指導の程よろしくお願いいたします。